当然の行為ではあるが

 先日、ある団体の懇親会へ出席しました。

会費が5000円だったので、長財布の千円札4枚と、非常事態用にカードケースに入れている1枚を取り出し支払いました。

これで、千円札が一枚もなくなりました。

 会食後に自宅に帰ろうとしましたが、地下鉄駅まで遠いし、午後10時前だったので、バスも来るまでにかなりの時間があります。

思い切ってタクシーを拾いました。

 背の高い白い綺麗なタクシーでした。

運転手を確認して話そうとすると、何と女性ドライバー。

行先を告げた時も、快活な返事ではなかったので、珍しく沈黙を続け、自宅直前の道を教える時だけ話しかけました。

 料金が2510円でした。

「現金にされますか、カードにされますか?」と聞かれました。

普段はカード払いにするのですが、財布に万札しかないと非常に困る経験を何度もしています。

そこで、「1万円札しかないのですが現金でいいですか?」と私。

彼女の了承が取れたので10010円をトレイに置きました。

「先ずお札から」と5000円と1000円が見え、もう一枚紙幣を手渡してくれました。

そして500円硬貨を一枚追加して、私はそのまま受け取りました。

眼鏡をかけていないので、暗い車内ではよく見えません。

 財布に入れずに3枚の札と500円硬貨1個と領収書を、左手に持ったまま自宅に入りました。

そのままソファーに腰掛け、財布に入れようとすると、何と5000円札1枚、千円札1枚、「弐千円札」1枚と500円硬貨1個だったのです。

 この20年以上「弐千円札」を見たことがありません。

それも新札だったのです。

つまり1000円多くお釣りをもらっていました。

 領収書に記載されているタクシー会社の電話番号にすぐにかけて、事情を話し、自宅の外で待つことにしました。

7~8分後にそのタクシーが来て、運転席から急いで女性ドライバーが出てきて、頭を下げながら5000円札を私に渡そうとするのです。

彼女自身が5000円札と「弐千円札」を間違ったと思ったのでしょう。

私が、「いえいえ、私が1000円多く貰ったのですよ」と1000円札を渡すと、驚いたように何度も何度もお辞儀をして「有難うございます」と繰り返すのです。

少し気の毒になりながら「気を付けて頑張ってください」と送り出しました。

 若い女性がこの時間帯にタクシー乗務員の仕事に携わっているのです。

何か事情があるのでしょう。

心の中で「負けるな」と応援しました。

 当然の行為をしただけですが、何か良いことをしたような、心安らぐ感覚に包まれました。

そして、改めて新札の「弐千円札」を眺めながら、不思議な縁を感じました。

その時、新札の一部を昔取り置いていたことを思い出しました。

板垣退助100円札、岩倉具視500円札、伊藤博文1000円札、聖徳太子5000円札、福沢諭吉10000円札、これにこの「弐千円札」が加わったのです。

 この『縁』が、今後どのような作用を私に及ぼすのか、楽しみになった夜でした。

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