移動

 2025年7月3日(木)14:23読了。

「移動と階級」伊藤将人 著

サブタイトルは「人生は移動距離で決まるのか? 移動から見えてくる(分断・格差・不平等)」

私には、特別購入して読むほどの本ではありませんでした。

 なぜ手に取ったかというと、既述していましたが、ある有名コンサルタント会社と契約して100万円も支払いながら、納得できたのが「情報量は移動距離に比例する」ということだけだったからです。

若いころから、何か新しい場所や話題に上る場所には、何とかして現場に行ったものです。

一見、人と接することが嫌いで家に引きこもるタイプに見える私ですが、自分の成長のためになると思えば、何とかして移動します。

 この本に書いてあることは事実だと思います。

「行きたい場所にいつでも行けることを(当たり前)だと思えること、自分の移動を自分で決められること、移動という行動に移せること、それらはすべての人に等しく与えられた認識や機会、結果ではない。」

「それがある種の恵まれた地位や権利であること、そしてそれはいつ失われるかわからない不安定な当たり前である」

確かにその通りだと思います。

 お金の問題だけでなく、年老いたり病気になったりすれば、必然的に好きな時に好きな場所に移動することなどできません。

しかし、その分かり切った状況を私にどうせよというのか?

国や地方自治体あるいはボランティアに任せるしかないと思います。

 そこそこ健康で、普通にお金がある人が、更に成長するには、移動が重要だとの内容であって欲しかった。

特に、経営者や店長が一皮むける要素であって欲しかった。

 私は、移動にはお金が必要なゆえに、その移動に対する「費用対効果」を常に考えます。

「わあ、楽しかった、面白かった」だけの感想は、私には不要なのです。

まあここら辺が、一緒に旅行に行っても不満が真ダムに出てくる原因でしょう。

 その場所に行って、五感で感じる訓練は決して無駄ではありません。

また、何か変化を求めるときにも移動は有効だと体験しました。

僅かばかりのお金や時間であっても、自己投資と思って移動すべきです。

できること自体が奇跡に近いのですから。

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