年を重ねる意義

 5月21日(日)の午前中、ラグビーのコーチに小戸公園へ出かけました。

半袖、短パンでも暑いくらいで、幼稚園児と過ごしながら身体を動かし良き汗をかいていました。

練習時間の中頃でしょうか、「先生 お久しぶりです」とがっちりした体つきの青年が近寄ってきました。

 正直誰かわからなく、「ごめん 誰かわからん?」というと「Fです」と。

じっと顔を見つめて、やっとのこと昔の面影を見つけ、「おお、久し振り、大きくなったなあ」とは、素っ頓狂な言葉。

「先生は全然変わっていないですね!すぐわかりました」

約30年前に、私が小学校4年生~6年生までコーチをしていた教え子だったのです。

 振り返ると、私がこのクラブで一番力を入れていた時期の子供の中の一人だったのです。

懐かしさと嬉しい気持ちで一杯になりました。

色んな人が学校の先生になりたい動機の一部を体験した気分です。

 このボランティアのラグビーコーチは1週間に一度ですが、無垢な子供達と接し、世間の波で汚れた自分自身の浄化に役立っています。

ぶきっちょながらも一生懸命走る姿、じっと見つめてくる大きな瞳、競争になると目の色を変える素直さetc.

これらのことに触れると、先ず自分の気持ちが丸く優しくなっていることに気づきます。更に目線を下げて一生懸命に彼等のいう事に耳を傾けようと謙虚になれるのです。

そして、気の置けないSさんとFさんとの他愛のない日常の報告会が、何とも現実的であり新鮮でもあるのです。

 年を重ねて、身体の至る所にガタは来ていますが、この一日を過ごした後は、帰宅後シャワーを浴びてヨギボーに身を横たえる頃には、何とも豊かな気持ちになり至福の時と共に眠りについています。

このような何の変哲もない些細な事でも心が充足されること自体が、年を重ねることの意義なのかもしれません。

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