清濁併せのむ

自分自身が、くそ真面目の純情な堅物だったので

社会人になってとても苦労したことは記述しました。

 

愚息達の名に長男は「弘」、次男は「寛」という漢字を付けたのは

私のようにならないで、清濁併せ呑む心が広い人間になって

欲しかったからです。

 

菜根譚に

「地の穢れたるは、多く物を生じ、水の清めるは、常に魚無し。

故に君子は、当に垢を含み汚を納るるの量を存すべく、

潔を好み独り行うの操を持すべからず。」

 

いろんなものが混じっている土地は肥沃になり

多くの作物が出来ます。

水がきれいすぎると魚は棲めません。

上に立つものは、清濁併せ呑む器量が必要です。

 

歴史を振り返ってみても、過去に「正しい」と考えられていたものが

後世に「悪い」こととなったり、その逆もかなりの確率であります。

法律等のルールも、時代によって全然違った解釈もなされます。

 

つまり、何が正しくて、何が正しくないのかは

変化する可能性があるということです。

 

狭い料簡で、潔癖さを保とうとすればするほど

ストレスが増して、自分が駄目になることに

充分注意が必要だと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

前の記事

サブスクリプション

次の記事

新たなスタート