追憶
少しずつ私の部屋が完成しつつあります。
書物の移動が終わり、机上の本棚のノート類と小冊子を新居に持って行きました。
その中に黒いB5判の表紙がビニールの手帳が有りました。
1ページ目の日付を見ると、1991年5月31日(金)とあります。
社内月例ミーティングを202号線の「浜勝」で行っていました。
出席者は、私と現在も働いてくれているTさん、それにすでに辞職されたEさんとIさんの4人。
内容は、来月つまり6月30日(月)にYSP大濠としてオープンする内容。
それに5月の販売台数実績報告でした。
当時は、私自身がまだ財務や経理に疎く、月次決算などできようもなく、ただ只管台数を追っていました。
来月からYSP大濠となる社員3人で回した店舗が、新車15台、中古車12台。
私一人と女子大生のアルバイトに助けてもらいながらのバイク情報センターの店舗が、新車4台、中古車8台。
このバイク情報センターは、買取を主な業務として、九州の二輪業界の動向を探る実験店舗としてオープンさせました。
1989年に初めて、他人に1店舗を任せた、弊社グループの転機となる店でした。
この手帳の裏表紙に私が記入した文言。
「出来るか出来ないかではない。やるのかやらないのかが全てである」
「約束は必ず守りたい」
「攻撃は最大の防御」
この手帳に挟まれていた「名経営者『名言録』」。
「男は、四の五の考える必要はない。志を立てた以上、迷わず一本の仕事をやり抜け」 豊田佐吉
「人に好かれようと思って仕事をするな。むしろ半分の人間に積極的に嫌われるように努力しないと、ちゃんとした仕事はできねえぞ」 白洲次郎