出過ぎた杭になりたい

 孫から私と真ダム宛てに手紙が届きました。

まだ幼稚園の年長組なのに、自分の字でひらがなの文章を書き綴っていたのです。

内容は、じいじの私には「野球を一緒にしてくれて」、ばあばには「ご飯を作ってくれて」有難うというもの。

 返事を数十種類のハガキの中から選んで書きました。

切手もピカチュウを貼りました。

いつもの万年筆で、全文ひらがなで書いたのですが、相変わらず下手くそな字で参りました。

最近、書道教室で3段に昇格したのですが、とても誇れるものではありません。

 考えてみたら、私自身突出したものが何もありません。

学歴も普通、テニスやラグビーの腕前も普通、生まれ育った家庭環境も普通、会社の規模も普通・・・・

 社員や相談に来た人々には「出る杭は打たれるが出過ぎた杭は打たれない。ダントツ一番を目指せ」と言っている自分自身が恥ずかしい。

どのようなことでもいいので、何か一つでもダントツ一番になりたい気持ちが常にあります。

 普通が一番いい、中流が一番いいという考え方には賛成です。

そう思えば思うほど、天邪鬼の私が顔を出すのです。

『出過ぎた杭になる』とは、最近特に気になる言葉の一つです。

 何故そこまで拘るのか理由を考えてみました。

簡単に見つかりました。年を重ねていくにしたがい『普通』のことが出来難くなっているのです。

 目や耳の衰え、足腰の弱さ、記憶力の低下etc.

せめて意欲だけはハイテンションを続けたいものです。

 

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