少しは人間らしさも
私の性格は、他人から見れば恐らく冷たいイメージが強い気がします。
自分自身も義は通すが仁は少ないと思っています。
自分の人生は、自分の決定の連続で成り立っていると考えること。
それに人を100%信じたら、自分が大きく傷つくことの二つを学んだからです。
例えば、知人が倒産し破産したとします。可哀そうにと思う前に、何故そうなる前に努力しなかったのか、所詮その人が悪いと考えてしまうのです。
事実と結果のみを信じるようになった昨今、TVのドラマや、ワイドショーなどを見る気が全くしなくなりました。
スポーツも圧倒的に勝利した結果のみを何度も見るようになりました。
夜中にワールドカップを見ようなどの心境は全く生まれても来ません。
毎日のリズムを崩さず、朝から読書に経済の情報収集する方が、「ビリオネア」に近づく道だと考えるからです。
他の人を馬鹿にしている訳ではありません。信教の自由、人種差別、LGBTと同じく人それぞれの考えがあって良い、私の関心にはならないというだけです。
年を重ねると涙腺が緩むといったことが言われます。ずいぶん昔は私も同様な気がしたものです。
ところが60歳を過ぎた頃から、第二の自分の人生を考え行動に移すとともに涙を流したことが殆どない事に気が付きました。
恐らく両親の死に際しても涙を流さないでしょう。
感傷を極端に避けている自分がいます。
最近この傾向が顕著になってきて、私はたった一人で死んでいくのだろうとまで冷徹に考え出しました。
このままではいかんと何となく思うようになり、自分がどれほどの仁があるのか知りたくなりました。
書評で「もう胸がいっぱいだ」「途中何度も涙してしまいました」『感動の声続々』と帯に書かれた、話題の本を読了しました。
「付き添うひと」岩井圭也 著 少年犯罪における弁護人の話です。
全部で五話あります。面白くて読み進めるのですが、四話まで読了しても涙が出ることはありませんでした。
やはり自分の性格は冷酷なのかもと思っていましたが、第五話の「少年だったぼくへ」で涙したのです。
まだ少しは人間らしさも残っていると感じた、2022年12月19日午前9時20分の寒い朝でした。