幸せとは
11月21日(月)は初孫の5歳の誕生日であり、且つ義母の満100歳の誕生日でした。
コロナの影響でガラスのドア越しにしか会えなかったホームが特別に会うことを許してくれました。
当日の午後12時50分に私と魔ダム、長男の3人で行きました。
応接間に通されると、元気そうな義母が扇子を持って笑いながら車いすに押されやってきました。
応接間のテーブル上に縦30㎝、横40㎝ほどの大きなお祝いのケーキが鎮座。
ホームのスタッフ10人強が集まり、盛大にお祝いをしてくれました。
残念ながら、このコロナの3年間で義母の認知が一気に進み、私や長男ばかりか自分の娘の魔ダムまで分からなくなっていました。
それでも、元気に笑いながら「軍歌」を謳っているのです。
魔ダムの悲しそうな顔を見て私は「お母さんがこんなに楽しそうに笑っているところを始めてみたよ」と声をかけ、更に「幸せそうな元気な顔が何よりたい」と慰めました。
実際彼女の頭の中がどのようになっているのか理解できませんが、恐らく人生で一番強烈な記憶のみが再生されているのでしょう。
「親孝行したいときには親はなし」という言葉がありますが、親は生きているが子供のことを忘れ去ることの方が多くなるかもしれません。
魔ダムにコロナの影響がもっと緩和されてホームに行けるようになったら、何をさておき義母に会いに行くよう勧めました。
私の具体的な親孝行は、「会って話をすること」だと考えるからです。
長男には、私と魔ダムがしっかりしているうちに親孝行してくれと頼んでおきました。