耳が痛い

 日経トップリーダーの最新版を読みました。

経営の第一線から退き、気ままな自分一人の会社で、好き勝手行う現在では必要はないものです。

長期契約をしているので、毎月送られてきます。

大抵は、封も開けずに長男に渡すのですが、今回は余程暇をもて遊んでいたせいか読むことに。

 その中で、「稲盛和夫の言葉」のページが特に印象的でした。

これから経営を目指す人々には、是非その意味を嚙み締めてもらいたいものです。

 先ず、経営者になってはいけない人、経営者に相応しくない人とは?

必死に働く心構えがない人。誰にも負けない努力をしない人。

大抵の経営者に「一生懸命働いていますか?」と問うと、殆どが「はい」と答えるそうです。

ただこれだけでは駄目で、「誰にも負けないほど働いていますか?誰にも負けない努力をしていますか?」と問うと、殆ど回答に詰まる。

 私自身振り返ってみると、とても耳の痛い言葉です。

創業時から2~3年は「はい」と即答できるのですが、それ以降は心許ないのです。

この期間が長いほど、会社の継続性も増しますし、成長性も増す気がします。

 次の言葉には、共感するし自分自身の納得感がとても大きいものです。

「小心者が場数を踏むことで真の経営者に成長する」

会社の経営が軌道に乗った5年目以降くらいから、いろんな人に店舗を増やして凄いですねとか、もう倒産の心配もありませんねとか言われるようになりました。

ところが、私自身はというといつ売り上げ減になるかや、いつ資金が枯渇するかなど、毎日が恐怖心で一杯でした。小心者の最たるものだったのです。

 ところが、不動産バブルの崩壊、ITバブルの崩壊、リーマンショックを経験する度に、度胸がついてきたのです。

これらの危機の時の心境よりも、創業当時の心境の方がはるかに苦しかった記憶があります。

 ただ同時に2店舗出店したり、未来が予想できないメーカーといち早く取引を開始したり、私の決断は外部には非常識、あるいは大胆に映っていたようです。

振り返れば確かにそうです。

稲盛氏の言葉にも「常に大胆であってもいけませんし、いつも細心で、小心であってもいけません。また、その真ん中であればいいというものでもありません。両極端を兼ね備えていなければならないのです。その矛盾を矛盾とさせないことがたいせつなのです。」

 中国の起業家に大人気の稲盛氏、今の日本人起業家も改めて彼を見直すべきかもしれません。

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