今にして知る
最近、ブログや手紙を書く段になり、語彙不足と
単語忘れを痛感します。
経済や経営に関するものならまだましですが、
情緒を表現する語彙等になるとからっきし駄目です。
読む書物が、余りに経済関係に偏り過ぎるとの自己反省から
二階寝室に鎮座している大型書庫から三島由紀夫の
「金閣寺」を引っ張り出しました。
日本近代文学の傑作と言われ、外国にも広く知れ渡っている作品です。
今回はじっくり読もうと時間を掛けました。
登場人物の人格を浮かび上がらせる軽妙な筆致、
目にする風景の詳細な写実等は言うに及ばず
自己の内面の葛藤が伝わってくる重くて暗澹とした描写。
読みながらも、読了してからも、疲労感がかなりありました。
改めて文学者の言葉を操る凄さも認識しました。
ただ現在の私には、
知ってはいけない、嵌り込んではいけない領域と
私の第六感が言ってます。
「高校2年生」「大学3年生」の一時期
『生きている意味とは・・・・』と哲学書を
意味もわからず読み耽ったことを思い出しました。
今にしてわかったことは、私には難解で暗い文学は合わない。
ほんの少し難しい、未来に希望が持てる文学や
市井の何気ない小説、勧善懲悪もの等が
残された時間が少なくなる単純な私には合うということです。