素直に嬉しい

11月11日は、恐らく今後年を重ねていく毎に意識され出し、

最終的には日本の歴史教科書にも

掲載されることになるでしょう。

 

11月11日午前9時35分、名古屋空港から

MRJ(三菱リージョナルジェット)が飛び立ち

およそ1時間半の飛行を終えて無事に着陸しました。

 

初飛行の機長は安村佳之氏(58歳)で自衛隊出身、

副機長は戸田和男氏(60歳)で海上自衛隊出身。

燃料の洩れチェック等に随伴飛行したのが空自飛実団の緒方三佐。

つまり、「陸・海・空」の自衛隊連合でした。

 

私と同年代の人がこのような快挙を成し遂げたのです。

「MRJ自身が『飛びたい』と言っているようでした」との

安村機長のセリフは今後も語り継がれていくでしょう。

 

既述していますように、私は5度の飛行延期に対して

非常に批判的でした。

プロとして且つ、日本人として。

 

それまでの事を差し引いても、素直に嬉しいし

日本人として非常に誇らしく思えます。

 

第二次世界大戦の敗北で、連合国のGHQにより

航空機開発・生産を禁止されます。

日本の空でさえ航空機同士の連絡は英語になる。

その後、悲願の国家プロジェクトであったプロペラ機YS-11を

開発生産するも大赤字に陥り撤退。

それから、53年の月日を経て、

日本の空に日本製の飛行機が飛んだのです。

 

日本製といっても、かなりの年月飛行機製造に関しての

ノウハウが蓄積されていません。

100万点に及ぶ部品の内の装備品はほとんどが欧米企業製。

 

日本の航空機産業の為にも、住友精密工業やジャムコに

少しずつでも投資していきたいと思います。

 

 

 

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