今も昔も変わらない
昨日、西日本シティ銀行主催の
経営者講演会が西鉄グランドホテルでありました。
タイトルは
「信長・秀吉・家康に学ぶ経営戦略」。
講師は、静岡大学名誉教授・文学博士「小和田哲男」氏。
それぞれに特徴があり、参考になりましたが
なかでも、信長の話には興味が湧きました。
桶狭間の戦いで今川義元軍25.000人を
2000人の織田軍が打ち破るものです。
一番槍は『服部小平太」で
今川義元の首を取ったのは「毛利新助」。
論功行賞の戦国時代、各武将は信長が
二人の内、どちらを一番の手柄と考えるのか
見守ります。
信長の決断は、そのどちらでもなく
戦場ではほとんど活躍していない
「梁田政綱(やなだまさつな)」でした。
永禄3年(1560年)5月19日(太陽暦6月22日)の
今川義元の行動
1.25.000人の内20.000人は別に動き本体は5000人
2.桶狭間で昼食をとる
3.義元は馬ではなく、輿に乗る
この3つの情報を織田軍に齎したのが上記「梁田政綱」。
この戦国時代に、武功より何より、情報を重んじた
織田信長に驚嘆します。
彼が「300年早く生まれすぎた男」と言われるのもわかります。
インターネットが普及した現在でも
「情報量は移動距離に比例する」という基本だけは
外さないようにしたいと思います。