度量と投獄

私は中学生の時に、身長が低くて、可愛い気がなかったせいか、

よく校舎の裏に呼び出されたり、路地で喧嘩を吹っ掛けられたりしました。

 

負けん気だけ強かった私は、泣きながら、

強くなりたいと思い続けたものです。

 

高校に進んだ時も、ラグビー部に入部し、

町内の空手道場に鉄下駄で通う日々。

喧嘩が強くなりたい一心で、練習に打ち込みました。

 

そんな時に、有段者同士の他道場との交流試合がありました。

身長も体重も、私よりはるかに大きな選手同士の突きと蹴りを見るにつけ、

怖くなり、喧嘩は絶対に避けるべきと気づかされました。

 

そこで強い人間とはどういうものかと考え、自分なりに到達したのが

「度量の大きい人間」でした。

 

古い記憶で定かではないのですが、度量の大きな人間になるには、

「大病」「大きな裏切り」「投獄」などを経験すべきと、うっすら覚えています。

 

確か電力の鬼と言われた松永安左エ門氏の言葉にも

「若いときに、失恋、落第、左遷、借金、倒産、投獄、の体験をしないと

本物の社長、経営者にはなれない」との言葉がありました。

 

落第、失恋、借金位はすでに経験済ですが、残りはしたくないと思うので、

結局私の度量は小さいままです。

 

その中で特に投獄には関心がありました。

最近、無実の罪で起訴されたり、投獄されたりすることがありえると

分かってきたからです。

 

週刊ダイヤモンド等で書評をされている

「佐藤優」氏には以前から興味がありました。

YSP福重店の裏にある書店に立ち寄ると「修羅場の極意」という彼の本が

平積みにされていました。

 

早速読了しましたが、自分が住んでいるものと違う世界は

現実に存在することを改めて知らされます。

 

まだ、修羅場を経験していませんが、その時に如何に自分を強く保てるか

これは、このような現実をまず理解することからだと思いました。

そのうえで、自分なりの死生観を持つこと。

 

米中の情報戦の記事をたまに見ますが、「インテリジェンス(特殊な情報)」に

無関心ではいられない時代になったと思います。

 

 

 

 

 

 

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