お金と幸福度

 私がいつも投資の話をしたり記述したりするので、お金の亡者のように思われているかもしれません。

弁解するつもりもありませんが、全然そのようなことはありません。

単に、経済と政治を学び分析し、自分の仮説を立てて、自分のお金でリスクを取って検証するプロセスが、たまらなく面白いし楽しいだけなのです。

ある意味ギャンブル性のゲーム感覚なのかもしれません。

 一般の人々が夢中になるゲームなどは、ただ単に時間の浪費としか考えられないのです。

一生にその時しかない時間を使うなら、お金が生じた方が断然高揚します。

配当金を貰いながら、譲渡益を狙うスリルを味わえば、他のことに興味は薄れていくのです。

配当金だけは思い切って使いますが、原資を減らすことはしないし、生活レベルを上げることもしません。

 尋常小学校しか出ていない公務員の父と専業主婦の母のもとで育ち、決して楽な生活ではなかったと思いますが、私にとって幸せな環境でした。

ホームに入居する両親が、ことあるごとに「自分達が一番幸せ」と口にするのを聞くと、「幸福度」とお金の多寡は関係ないと感じます。

父が公務員であり、一定の収入は確保されていたので、極貧の体験がないのもその理由かもしれません。

 しかし、脱サラして起業すると強烈にお金を意識するようになりました。

お金の不足は即倒産ということを知ったからです。

両親の育て方が良かったのでしょう、違法なことまでしてお金儲けをしようとは全然思いませんでした。

あるお金をどのようにして効率的に使うか、また少しでも余ったお金をどうするのかを常に考えていました。

「運」というのは不思議なもので、ここで28歳からの株式投資が生きて、何度も窮地を脱しました。

私の弟が証券会社に入社しなければ、これほど早く株式投資に目覚めていなかったことでしょう。

 「新NISA白書2024」によると、口座数や買い付け額は順調に増えているそうです。

しかし普及率となると全体で24%にとどまるとのこと。

残り74%の人々は、このインフレ状態にもかかわらず何もしていないのです。

 一方「家計の金融行動に関する世論調査2024」では、1年前より金融資産が増えた世帯は4割にものぼるそうです。

その主な理由が、株式・債権の価格上昇や配当金・金利収入。

つまり、投資している人だけが恩恵を受けていることがマクロでは分かります。

格差が広がることは、単純にチャレンジするかしないかだけで、政治家の政策でどうかなるものでもない気がします。

 逆説的に言うと、別に投資などしなくても幸福な世帯が76%あると考えても良いのかもしれません。

人それぞれ個性があるように、金融格差があっても、幸福度には関係ないということです。

健康と少しばかりの余裕があるお金があれば私は幸せを感じます。

だからこそ、下手したら大切なお金が紙くずになるかもしれない株式投資に、大胆にチャレンジできるのです。

現在の私は、行動経済学の(損失回避)や(現状維持バイアス)から最も遠い距離にいます。

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