大きな憂い

 先日、子供たち家族と久山にあるコストコへ買い物に行きました。

水曜日だったにもかかわらず、駐車場はほぼ満車状態。

大型店舗内に圧倒的展示量をほこり、安さが売りも合点がいきました。

アジア系の外国人の多さに驚きました。

孫達は楽しそうに走り回っていました。

何となく宝探しの遊園地的な感覚でしょう。

併設されているガソリンスタンドのガソリン価格は、他店では真似できないような価格でした。

 私と真ダムも折角来たのだからと、クリーム入りクロワッサンや、滅多に食べることのない天津甘栗等を購入。

長男家族も次男家族もそれぞれ2万円前後を支払っていました。

孫達にソフトクリームを食べさせたのですが、これまたビッグサイズ。

 帰宅後、妙な疲れが出て、我々夫婦の生活には合わない販売スタイルと思いました。

安くて多いとか大きい、つまり原材料の優劣にはほとんど無関心で、賞味期限のある食べ物とかは、無理して食べなくては間に合いません。

安さを誇る業務用とかには向いていますが、アメリカそのものの飽食の店だと確信しました。

子供達も、少々高くても地元の新鮮な食材を求めた方が良い気がします。

「腹八分目」と「出されたものは残さず食べる」が日本人のスタイルです。

 新聞にパレスティナの餓死(飢えて死ぬこと)者の数が報道されていました。

2023年10月の戦闘開始以来、子供88人を含む147人にのぼったとのこと。

食べ物や飲み物がなくて死ぬことに関して、どれほど想像力をたくましくしても理解できません。

アメリカやイスラエルの現在での行動に大いに憤りを感じます。

 ところが、日本に目を向けると、こちらも反省すべき点が大きいことに気づきます。

「食品ロス」(まだ食べられるのに、捨てられてしまう食べ物のこと)が、農林水産省による統計では、毎年約612万トンにも及ぶそうです。

これは、東京ドーム5杯分に相当し、日本人一人当たりお茶碗1杯分の量が毎日捨てられることになるとのこと。

 私の力で、世界の餓死者を救うことも、日本の食品ロスを一気になくすことも出来ません。

せめて私が出来ることは、必要な時に必要な量だけ食し、自然の恵みに感謝すること。

いつもは、株式投資で大きな利益が出た時のみ日本赤十字社を通じて寄付をするのですが、今回はそれを待たずに実行することにしました。

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