やはり偉人は違う
週刊ダイヤモンドに「不朽」というコーナーがあります。
今回は、出光興産創業者の出光佐三の話でした。
ダイヤモンド臨時増刊号「財界人物」1955年7月5日号と、私の生まれた年の記事だったので詳細を読むことにしました。
私が古い人間なのか、共感部分がかなりありました。
1.人間というものは苦しいものと思っている。しかし、その苦労は無意味なものではない。苦労すればするほど人間らしくなる。今日贅沢をして、上手いものを喰って、いいことをして終わるだけだったら、犬や猫とどこが違うか。
2.1人離れ小島におるのならば、勝手なことをやっても良い。けれども社会人ならば先ず譲るべきである。理屈だけで、物を片付けようとするからいけない。
3.日田さんは私に言った「この金は君にやるのだぞ。君の熱意に対してやるのだ。だから返す必要はない。むろん利子も要らない。君のやる仕事は、全部君に任す。事業の報告なんか僕は聞いたって分からないから、その必要もない。君の思うようにやれ。ただ僕の希望したいことは、兄弟仲良く、そうして終始一貫せよ。」と。これは人生の大哲学である。人に恩を着せない。自分を捨てて人のためにする。その人を信じて、一切を任せる。これは信頼感の絶頂である。
4.人生というものは老後にあるのだ。君らが60位になって過去を顧みて、過去60年間というものは、ああ60年間だったというだけで、一瞬に過ぎない。その間に贅沢をしたとか、いいことをしたとか、、反対に苦しんだとか何とかいうことは大した問題ではない。一思いで消えてしまう。ところが老後の1時間、1日というものは実に長い。その長い1日、1ヶ月、1年というものを不愉快な思いをして暮らすか、ああいいことをしたと思って暮らすか、これが人生の幸、不幸の決まるところだ。
「3」の日田さんとは、当時の出光佐三より9歳年上の人で、出光の家が破綻寸前でも彼が独立する夢を語る熱意に、京都にある別荘を売却して、彼の創業を助けた人です。
この話と同様なことが、稲盛和夫氏にも起こっています。
こちらは、自分の住んでいる家を担保にしてくれて、そのことを奥様に告げたら、「男が男に惚れたのならいいんじゃないの」と笑顔で承諾するのです。
出光佐三や稲盛和夫という偉人達には、自分の財産を犠牲にしても助けたいと思わせる、熱意と人間的な魅力があったのでしょう。
私も、「投資家」と名乗れる自信が付いたら、この様な気持ちになれる若者を見つけ出し、全面的に援助したいものです。
