昭和生まれの無駄感覚
昨年、取引先の社長が、キャンペーンのためにバイク好きの「所ジョージ」を広告に使おうとしたとのこと。
広告代金を聞いて止めたそうですが、その額は1億円。
彼は1955年2月16日生まれ、私の方がほんの少し先輩です。
他のタレントに比較して、素人の私から見ると、さほど才能にあふれていると思えないのに、大体どのTVチャネルにも登場しています。
彼は1年のうち300日を家で家族と過ごすとのこと。
朝起きるたびに「今日も生きていて有難い、楽しい一日にしよう」と思うことにしているそうです。
そんな彼の「楽しみ」の極意は、『無駄」なことを黙々とやるとのこと。
どのような場面にも、楽しさのヒントが隠されていて、効率や短時間一辺倒には、その隙さえないから好きでないと。
私が終の住まいにした新居を建てるときに、無駄のないバリアフリーの平屋か段差ありの2階建てかの選択に迫られました。
最終的には、無駄の多い後者にしました。
こけないように注意深くなるし、階段を毎日何往復もすることで自然と筋力アップに繋がると思ったからです。
面倒くさいことや、無駄なことや、時代遅れのことに執着することなど、やはり昭和の世代なのでしょうか?
妙なことで彼に共感できます。
その中でも、息子達にも示唆に富む彼の言葉があります。
「何でも手を出すこと、仕事でもそうだけれでも、向き不向きなんて、さんざんやってから言うべきなの。富士山に登る途中で来るんじゃなかったとの後悔はいいけど、登りもしないでつまらないと言っちゃだめだよ」