結局、手はかかるのが人生
自分の子供たちが自立してくれ、各々家庭を持ってくれたおかげで、我々夫婦には時間的かつ金銭的な余裕が生まれました。
何よりも、子供たちに手がかからなくなったことが有難いとしばらくは思っていました。
ところが、そうは問屋がおろさないのです。
出張で高松に行っていた時に、両親が入居するホームから私の携帯に連絡が入りました。
母親の上あごの入れ歯が折れたので、すぐに歯医者に連れて行ってくれとの内容。
今高松で帰宅は無理なので、付き添い代金は支払うから、誰か母を連れて行ってくださいとお願いしました。
すると、身内でないと困りますので、帰宅後連絡ください、その間は噛まなくてよいものを差し上げておきますとの返事。
その日曜日の一日中ストレスが溜まりました。
最近歯医者も予約制なので、帰宅後いつになるか分かりません。
知り合いの歯医者の携帯にショートメールで、急ぐ旨の内容を送信しておきました。
月曜日が祝日だったので、火曜日の朝に連絡が入り、何とか木曜日に処置してくれることとなりました。
ホームに連絡を入れ、木曜日の午後2時半にホームへ母を迎えに行き、そのまま車で歯医者へ。
上あごの歯はすべて入れ歯で、どういうわけかその入れ歯がほとんど真っ二つに折れていました。
修理が可能ということで、約1時間で処置が終わりました。
本当に助かりました。
ホームへ戻り、看護師に状況を説明し帰ろうとすると、介護士から話があると。
歯がない状態で他の入居者と一緒に食事をするのを母が恥ずかしがり、部屋へ直接食事を持ち込んだので、1食につき550円の配膳代金が来月精算されますとの内容。
ホームには毎週1回、カットフルーツとらっきょう、お菓子を購入して、千円札3枚を渡しに行っています。
最近このルーティンにはやっと慣れてきて、面倒くさいとかは思わなくなったばかりでした。
また、少しでもホームの人々に好かれるように、旬の季節にあまおうイチゴとシャインマスカットをホームの事務の人々に届けています。
それでも、こちらのペースで何か行おうとするときに、ホームからの緊急電話はやはり少々カチンときます。
身内が遠方にいる人や、携帯電話を持たない人は一体どうしているのでしょう?
両親は何も悪くなく、どちらかというと優等生的な老人だと思います。
それでも、何らかの形で我々の手が必要となるのです。
結局、生まれた子供を一人前にしたのちは、両親を最後まで看取るという手のかかる作業は、避けられないようです。
認知にならずに、元気で自活しながら、ある日突然ぽっくりと死にたいものです。
真剣にエンディングノート作成にかかろうと思いました。
