未だ理解が及ばず

 2025年8月30日(土)21:58 読了。

「『ひとり』の哲学」 山折哲雄 著

裏表紙に書かれている文章です。

「現代人よ『孤独』をそんなに悪者にするな!」

「独居老人」「孤独死」など、まるで「ひとり」が社会悪かであるように世間は言う。が、人は所詮、ひとりで生まれ、ひとりで死ぬ。「孤独」と向き合うことで、より豊かな生を得ることができるのだ。親鸞、道元、日蓮、一遍ら、先達の生き様を振り返り、日本思想の源流ともいえる「ひとりの覚悟」に光を当てる。

 浅薄な自分を知っているがゆえに、書物の中にたまに、日本の哲学思想や、西洋哲学思想等の初歩的な本を紛れ込ませて読みます。

最近、知人等の死に直面する機会が増え、死生観なるものも漠然とですが考えるようになってきたからでもあります。

ところが残念ながら、頭が付いて行かなくて、未だに理解が及んでいません。

まあ、今まで読んだ各種の哲学本でも、人間の心や生き様等、色んな考え方があることが分かりました。

ここに宗教も絡んでくるので、いろんな説が飛び交うのは理解できます。

いつか、私自身の腑に落ちる書物に出会うまで、難しくともチャレンジは続けようと思っています。

 この本では日本で13世紀に「ひとりの覚悟」が確立されたと論を張っています。

その時期が多くの天災と飢餓に襲われ、末法思想におおわれ、「生きる」ことについて、誰もが真剣に向き合わなければならなかったからです。

私なんぞは、衣食住、何も考えずに今まで生きてきました。

まして、「生きる」ことに関してなど、頭の片隅にもなかったのが事実です。

ところが、最近では、「生かされている」と良く思うようになりましたし、生きているだけでも運がいいと思うように、心境が変わってきました。

穏やかに死ぬには、哲学か宗教が必要な気がします。

 この本で印象に残ったのは、著者が「自助・共助・公助」なる言葉を忌み嫌っている点で、「助けてくれ、助けてくれ、助けてくれ」と叫んでいるようなものと断じています。

ちゃんと「自立」なる言葉があるではないかという論です。

また、「想定外」という言葉にも疑問を呈しています。

昔から、天変地異や戦争など数多くのことが起こっている訳で、全て『想定内』と覚悟して生きるべきだと。

「死生観」なる言葉も西洋にも中国にもなく、翻訳がしようがないそうで、日本人独特の心のありようだそうです。

 もともと我々は原始時代から小集団の中で助け合って生きてきたのです。

孤独が苦手なのは、必然として受け継がれた性分かもしれません。

 奇しくも最近の新聞に、今年1~6月に自宅で死亡した1人暮らしの数が掲載されていました。

全国で4万913人、その内65歳以上が3万1525人と77%を占めているそうです。

男女別では、男性2万8104人に対し、女性1万2807人。

誰かに看取られて安らかに死ぬことは、なかなか難しそうです。

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