気楽に生きよう
2025年8月18日(月)11:17 読了。
「すぐ役に立つものは すぐ役に立たなくなる」 荒俣 宏 著
中学生以上老人まで、劣等感に悩まされている人々や、悩みが多いと感じている人々には、お薦めの本です。
極論すれば、人生に無駄なものはないという事に尽きます。
私は脱サラしてから、初めてのそして大きな決断の連続でした。
その時に背中を押してくれた名言があります。
「乗りかけた船には、ためらわずに乗ってしまえ」 ロシアの作家 ツルゲーネフ
行動を起こして、瞬間やばいと思ったこともありましたが、それらすべてのことが血となり肉となり、現在の私を創り上げています。
荒俣氏のこの本の初めに出てくる「来たバスには乗ってみろ」は正しく同様なことで、私も体験上大いに賛同しています。
ここから発展して、私は息子達に言っている言葉があります。
「決断を悩んだ時には、熟慮してどれかを選択しろ。良い決断、悪い決断というものはない」
今の世の中は、決まりきった答えはありません。自分で課題を解決するしかないのです。
「成功したかどうか、勝ち組か非勝ち組かに関係なく、知的作業や暮らしの面白さに打ち込めた人こそが、一生を満喫した人」という言葉も納得感がありました。
他人から馬鹿だ変人だと言われれば、名誉なことだと思ったという体験も、その通りと思います。
特に印象に残ったのは、「櫟社の散木(れきしゃのさんぼく)」について述べていたところで、意味は多少違いますが、法隆寺大工の最後の棟梁である西岡常一氏の木に関する言葉を思い浮かべました。
「癖というのは何も悪いもんやない、使い方なんです。癖の強い奴ほど命も強いという感じですな。癖のない素直な木は弱い。力も弱いし、耐用年数も短いですな」
「櫟社の散木」は意訳していうと、使い物にならなかったお陰で崇高な神木にまでなれたという意味。
このブログでも過去に既述した「セレンディピティ(偶然の発見、幸運な出来事)」論も、私は体験済みです。
人との出会いを大切に、『ご縁』を意識することです。
「本来の勉強とは、その知識を使うためにある」これまた至言です。
私は意識して、決して発しない語句があり、常に言い換えて話すようにしています。
「お金がない」→「お金がたまたま不足している」
「暇がない」→「何時も暇だから」
脳は不思議なもので、このことを何十年も続けていると、何時も暇でお金も足りないことはなくなります。
最近は、嫌味なくさらっと「大丈夫お金はたくさんあるから」と他人にも平気で言うようにしています。
「何時も暇だから」と言っていると、色んな方からの誘いがあり、いろんなイベントに参加できる時間を作れます。
現在の私には祝祭日はありません。毎月20日ほどは予定で埋まるので不思議な気がします。
荒俣氏も、どんな忙しい時にどんな仕事がきても断らなかったそうです。
正しく「忙中閑あり」です。
最後に、現在の私の心境とシンクロナイズしたことが「生きてるだけで人生丸儲け」
何をやっても、どんな人に会っても、何かしら学ぶことはできるし楽しい。
