親鸞
2025年8月5日(火)17:28に二回目を読了。
「最後の親鸞」吉本隆明 著
2002年9月10日初版で、私が読んだのは2025年4月20日の第17刷発行本。
「序」「最後の親鸞」「和讃」「ある親鸞」「親鸞伝説」「教理上の親鸞」「永遠と現在」「あとがき」
一回目の読了では、ほとんど理解できずに、二回目からは仏教用語を詳しく調べながら読み進めました。
それでも何となくしか理解できず、最終的には専門家の授業を受けねば無理だと判断。
この本を読了するのにかなりの時間を擁したので、その間に積読本が10冊を超えてしまいました。
慌てて読了した次第です。
私は我が家の宗名が何か、知りもしなくて興味もありませんでした。
両親が鹿児島県と宮崎県の辺境の田舎から出てきて熊本で仕事に就いていたせいで、親戚や祖父母の葬式等に出たこともありませんでしたし、社会人になってから葬儀やお経等を知りました。
ところが、真ダムと結婚したらたまたま同じ宗派で、彼女の家が熱心な信者だったのです。
そこで葬儀や法事なるものを何度も体験しました。
彼女の親戚一同が和讃(仏や高僧の徳などを和語で称え、曲調を付けて詠じる歌)を諳んじているのを知り驚いたものです。
脱サラしてからというもの、非科学的なものでも良いと思うことを実行するようになり、毎日神棚と仏前に手を合わせるようになりました。
この本を読むきっかけは、週刊経営誌の書評からでした。
この本を読んで感じたことは、やはり宗教には時の権力者の意向が強く働くものだということです。
親鸞には各種の伝説があり、後世に都合よく美化されたものも存在するのは歴史の常です。
浄土真宗の仏壇は金箔が施され、荘厳という言葉がぴったりですが、彼はそれらのことを望んではいませんでした。
非僧非俗(国の定めた僧侶でもなく、また俗人でもない)の体をとり、当時の僧侶の概念からはみ出す女犯(にょぼん)の戒をおかし、結婚し子供をもうけます。
最初は浄土教の法然に心酔しますが、平安末期から鎌倉初期にかけて、大規模な飢饉等が発生し路上の骸(むくろ)たちを見るにつけ教義の矛盾を感じていくのです。
つまり浄土教が現世の苦痛を救済するわけではないことに気づきます。
そこで「往生(おうじょう)」(極楽浄土に往って生まれ変わる)と「還相(げんそう)」(往生して仏になったのち再びこの世にかえって、利他教科の働きをする)を教義とします。
彼本来の思想は、ただひたすら念仏を称えつつ我が身を振り返り、御恩報謝の生活を送ること。
そして、この世の縁が尽きる時に阿弥陀如来の本願力によって浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化(きょうけ)するというもの。
偶像や伽藍等も彼には必要なく、お布施等も関係ないものでした。
それが、後世の権力者達によって、豪華な伽藍や寄進の風習も出来てきたのです。
先日、丈母(じょうぼ 妻の母)の三回忌の法要に北九州の長玄寺へ家族10人で行ってきました。
孫達も手渡された「日常勤行聖典」のフリガナのついた経文を一緒に一生懸命に読誦していて、改めて祖先の有難みを感じました。
私は自分の好きな色の金色が主体の「御経本・念珠入れ」を持っていますが、これは、丈母が平成24年4月8日に京都の西本願寺で私にプレゼントしてくれたものです。
私には勿体ないプレゼントだと思い、お仏壇の長谷川の担当者にオーダーして、最高とされる天然の琥珀(AMBER)を念珠として作りました。
真ダムの家を解体する時に、和室に鎮座していたものの、かなりガタがきていたとても大きな仏壇をどうするか迷っていました。
専門家に調べてもらうと、明治時代につくられ大変貴重なものとわかり、修復することにしました。
見積を見ると100万円を超え、修復期間が3か月超。
それでも惜しいとも思わず、我が家と真ダム家の代々の家宝として引き継ぐと決断。
この大きくて荘厳な仏壇を入れるためだけに、我が家の旧居の和室もリフォームしました。
100年後に再修復の時期が来ます。
その時の価格や修復期間は想像できませんが、迷わずにできる力を持った曾孫(ひまご)か玄孫(やしゃご)が続くことを期待しています。
何故ここまで親鸞に興味を持ったかというと、彼が没した西暦で692年後の同月同日に私が生誕したからです。
