生きている奇跡
一昨晩、メールで訃報が届きました。
このブログでも記述していた、私がサラリーマン時代の同期の男性が、亡くなったとの内容。
私が就職した時代は、第二次オイルショック後でかなりの採用難でした。
そのせいで、我々同期は、例年より半分以下の採用人数と、その会社始まって以来の新卒女性社員「0」。
同期会の名前を「やろう会」としたのも当然の成り行きでした。
この様に特殊な環境であったせいか、同期は非常に仲が良く、会社を辞めてかなり経った私にも連絡が来ます。
亡くなった彼は、私より一つ年上の大阪大学大学院を卒業した秀才で、若気の至りで生意気な私と違い、包容力のある大人びた人物でした。
最近まで海外勤務をこなしていて、これから奥様と旅行を楽しもうとした矢先に悪性リンパ腫(血液のがん)に罹患が判明し昨年12月初めに手術。
手術は成功したようでしたが、我々の応援メッセージも虚しく亡くなりました。
訃報が届いた夜は、流石に寝付けませんでした。
彼のおおらかな笑顔ばかりが浮かんでくるのです。
彼の奥様が現実を受け入れられないとの返事には、ただただ黙って首(こうべ)を垂れるしかありません。
10数年前に、九州からたった二人採用だったもう一人の同期も癌で亡くなっています。
少ない同期の内二人も癌で失ったのです。
二人共に、無茶な生活をするような人物ではありませんでした。
あまりにも早い病死に、彼等の無念を感じざるを得ません。
ふと、自分が後1か月後に死ぬと分かったらとの妄想が湧き上がりました。
最初に浮かんだのが、両親のことでした。
いくら認知が進んでいるといっても、かなりの悲嘆にくれることは間違いありません。
真ダムに関しては心配していません。
最初の1週間くらい落ち込んで、それからはいろんなコミュニティで元気よく過ごし長生きするでしょう。
子供達や彼等の嫁達、孫達、私の弟も数日間の喪に服したら平常の生活に戻るでしょう。
最後のスポーツカーと決めているLC500Hに乗れない心残りと、もう一度山口県の長門湯本温泉「別邸 音信」には行きたかった。
好き勝手に生きてきた人生、8割以上は満足でした。
先月末の交通事故といい、今回の件といい、生きている意味を深く考える機会が増えました。
現在生きて活動できている奇跡を改めて認識し、日々後悔のないように過ごそうとの誓を新たにしました。
