努力は報われるのか

 我々の時代も現代でも「努力」の大切さは不変だと思います。

ただ努力もむなしく報われないこともあり、世間では「努力しても報われないこともあるが、努力しなければ絶対に報われない」との論調が大半でしょう。

 私は最近少し違った考え方になりました。

『努力は確実に報われる』というものです。

そう思いながらことを進めると、先ず迷いが生じません。

そして続けているあいだ、とても充実した気分が味わえます。

極論すれば、死ぬまで続けていれば、他人には報われていないように見えて、自身は後悔の無い日々を送ったことになります。

 ただこの努力を続けるうえで重要な要素があることにも気づきました。

それは具体的な『報奨』があることです。

 最近になってやっと、日本の企業も年齢やキャリアに関係なく、結果を出した人にかなりの報酬を出すような制度に変わってきました。

資本主義である以上、このことは当然のことなのですが、何故か日本社会はこれをしてきませんでした。

 私は、サラリーマンと自営の両方を経験し、早くからこの実力主義しか生き残れないと感じてきました。

しかし、この制度にも欠点はあります。

個人主義に走りやすく、協調を伴う仕事には弊害が多くなるのです。

 そこのバランスを取りながら、私は社員全員の賞与をオープンにしてきました。

一時期は最低2万円から最高80万円の人まで、誰がいくらもらったか全員が分かるのです。

最終的には、全員の給料もオープンにするつもりでした。

別に社長よりも多く給料を取っている人がいても構わないのが私の考え方でした。

賢い私の息子達は、劇薬と感じて現在賞与も給料も両方ともオープンにしていません。

 変人と自他ともに認める私の色んなやり方は、正しいとも限りません。

それを承知の上で、孫達には金融リテラシー教育も兼ねて、「努力と報奨」の具体化を行っています。

真ダムなどは「モノで釣るのは良くない」と否定的なのですが、世の中に出ればほとんどが「報奨」で人生が変わることをいやというほど味わうことになります。

 今年2年生になった孫が、シャトルラン、反復横跳び、ソフトボール投げでクラスで一番になったと報告してきました。

日頃から努力していたことは分かっていたので、「凄いね、よし何か買ってあげる」と。

トイザラスへ行き、おもちゃのピストルが欲しいというのを「人生ゲーム」に替えさせてプレゼントしました。

 一方、今年1年生になった孫は、あまり外に出なくて室内でユウチューブとゲームを楽しんでいます。

最近、無理やり早朝ランニングにつき合わせていますが、2年生の孫にプレゼントしたことを敢えて言いました。

すると「わあ、いいな。僕も欲しい」

間髪入れずに、「2分20秒を切ったら好きなものを買ってあげる」

1周450mを、先週は2分50秒~3分12秒のタイムが、一気に2分36秒に縮まりました。

 会社経営も人生も、努力(小さな積み重ね)を続ければ、大きな報奨(結果)が得られることを、小さい頃から体に沁み込ませるべきと思っています。

薄給の公務員の父が、私が進学高校に合格した時に、当時最高級の10段変速の自転車を買ってくれた喜びは今でも忘れません。

 

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