フィロソフィー

 Philosophy が経営には必要だと最近の経済誌に良く書かれています。

広辞苑によると、「哲学」「人生観」「考え方」とあります。

私には程遠い概念であり興味もなかったのですが、認知機能劣化防止のためには、自分の好きでもない内容本を読むことも必要と思い手にしました。

タイトルに、私の劣等感を呼び起こす『教養』があるのも読むきっかけでした。

 2025年3月13日(木)22:40 読了。

「教養としての西洋哲学・思想」 佐藤優・伊藤賀一 共著

数週間かかって読み終えたのですが、理解度は2割程度。

エピローグに「記憶力のある人は3回、ない人は10回再読するように」アドバイスが掲載されていました。

 「世界とは何か」「人はなぜ生きるか」を考え抜くのが「哲学」であり「倫理学」で、それらはすべての学問の基礎となる。

という大きな命題に私レベルが挑んだのが間違いの元。

更に大体の世界の著名な哲学者は、行倒れたり、離婚したり、獄中死したりとあまり幸せそうでもありません。

 ただ、佐藤優がいうように、現在の国際社会のルールは、アメリカ合衆国・ヨーロッパ諸国の価値観に基づいて構成されている。

それがいつの間にか我々日本人の価値観にも潜んでいる。

このような価値観は古代ギリシア思想に源流があるので、それを知るべきということには賛同します。

 ルネッサンス時代にカトリックによる世界制覇が計画されました。

スペインとポルトガルによる世界分割(トルデシリアス条約)がそれです。

日本にもイエズス会やフランシスコ会の宣教師が戦国時代に日本に来ましたが、その目的は日本を完全にカトリック化することにあったのです。

つまり、下手すれば、日本も植民地になっていた可能性があるのです。

 ところが、日本はロシアや朝鮮、中国等とも交易をしながら鎖国主義を取っていたため免れたという説は面白いと思いました。

日本は第二次世界大戦の敗戦国、原爆を投下された悲惨な国ということがクローズアップされがちです。

しかし、第一次世界大戦に参加していない世界の強国の2国のうちの一つ、また植民地経験のない国という強みもあるのです。

 現代の国家は、「食われる側」と「食う側」に二分され、幸い日本は「食う側」にいるので、それを維持するためにも、共同体のために主体的に貢献できる人間を育成する必要がある。

それには、道徳だけでなく倫理が必要という考え方には同感です。

 

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