意外に多い若者

実家である熊本での療養期間二日目の朝食後。

昨日からの雨も上がり、薄日の射す肌寒い日でした。

この3週間の運動不足を少しでも解消しようと

ゆっくり、ゆっくり散歩することにしました。

 

別にあてもなかったので、母校を巡ることにしました。

まず、5~6分かけて池田小学校へ。

校庭がこんなにも狭かったのかと少々驚くとともに

道路右手のプールで掃除をしているときに

加山雄三の曲をみんなで口ずさんだことを思い出しました。

 

001 003

 

続いて、京陵中学校まで足を延ばしました。

軟式野球の試合が行われていて、見ず知らずの30代後半であろう男性に

笑顔で「こんにちは」と挨拶され、妙に嬉しく、元気になりました。

休日に子供と一緒に野外活動するような人は、「できてる」など勝手に頷きながら。

 

よく校舎の裏に呼び出された思い出とともに、

人生最初の落第である、付属中学受験の失敗も思い出されました。

 

当時、市内で1,2位を争う「ラッパズボン」全盛の不良中学校だったわが母校と

男女の学生が手を繋ぎながら下校する進学校の付属中学が

道路一本隔て真向かいにあるという、漫画そのもののシチュエーションです。

 

007 004

 

まだ体力的にもいけそうでしたので、熊本城までさらに足を延ばすことに。

到着直前から、法被姿の若い男女を何人も見かけました。

思い出しました。

その日は、熊本最大のお祭り「藤崎例大祭 神幸行列」の日だったのです。

熊本城横の加藤神社にお参りを済ませ、若い女性の法被姿を追うことに。

いつの間にか銀座通りを経て下通りアーケードまで来ていました。

若い女性は、どんな薬よりも効く!?

 

010 012

015

 

何と、若者でごった返しているではありませんか。

「くまもん」出現以降の熊本の活力は、

政治都市のイメージを、商業都市に変えつつあると痛感しました。

 

ここまで来たら、上通りまでと、ついには上通りも抜けて、仁王さん通りへ。

その通りの終点近くを左折し、壺川小学校を右手に見ながら

急こう配の京町阪を超えて帰路につきました。

 

結局、8キロ前後を歩いたことになります。

病状が悪化しないか心配しながらも

心地よい疲労感が、前向きな汗とともにゆっくりと滲み出しました。

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

未分類

前の記事

迷惑が親孝行
未分類

次の記事

朝日新聞